2018年12月30日日曜日

意味 矢嶋彌平次が築いた杉堂の眼鏡橋  明治33年(1900)の洪水で流失  

更新 December 30, 2018 at 09:18PM
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矢嶋彌平次が築いた杉堂の眼鏡橋  明治33年(1900)の洪水で流失  
 徳富蘆花は大正12年(1923)に伯母竹崎順子の伝記を書いています。書名はその物ずばり「竹崎順子」なのですが、竹崎順子は矢嶋四賢婦人の一人として熊本では有名な女性です。 その竹崎順子が生まれた上益城郡津森村杉堂の木山川にこの橋はありました。架橋地点は荒瀨と字名が付いているとおりの急流で木橋を架けても直ぐに流されてしまうので洪水に強い橋がほしいというのが長い間村人たちの念願でした。庄屋の矢嶋彌平次が私費を投じてここに眼鏡橋を築造... http://bit.ly/2SnODlv

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